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田んぼがダメになってしまう

週末は時間ができれば、地元の群馬県に帰っています。

現在、2月ですが、2017年は4回の帰郷をしています。

思い出の田んぼ

僕の実家には、祖父が何十年も続けてきた田んぼがあります。ここで米を作って、家族、親戚でご飯を食べていました。
父親はなく、母が忙しく仕事をしていたこともあり、僕は、幼稚園の頃から祖父に田んぼへ連れていってもらい、小学校からは田植えの時期や稲刈りのときはお手伝いをしていました。東京に出てからは、実家に帰れば必ず田んぼに行って、缶コーヒー片手にぼんやりと眺めたり。
そんな田んぼも、祖父の具合いが悪くなってからは、叔父が引き継ぐ形になり、しばらくは続けていましたが、3年ほど前からは、田んぼをやめてしまい荒れ果てた土地となってしまいました。
田んぼは線路沿いにあるので、実家に帰るときに電車の進行方向の右側にみえますが、田植えの季節になると周りは青々としているというのに、うちの田んぼだけポッカリと荒れ地になっていました。

しばらく田んぼに近づけなくなっていました。こんなにしてしまって申し訳ないという気持ち。僕が群馬にいれば田んぼは続けられたかもしれないという気持ちと東京でやりたいこととの葛藤。あまり思いを語らない祖父だったので、今ではどんな気持ちでこの田んぼを続けてきたのだろうと考える。話したい。

そんな間もなく、祖父が亡くなりました。時間なんていくらでもあったのに、何にも聞けなかった。

その日は急いで群馬に帰り、祖父の顔をみて、ゆっくりと田んぼに向かいました。

じーちゃんが行きたかった場所

祖父がなくなる1ヶ月前、酸素の機械を付けながら、ずっと寝たきりで、トイレもご飯も自分ではできない状況だったのに、僕が帰ると突然歩きたいというので、肩に担いで畳二畳分を歩きました。酸素の機械を付けなければならない状況だったので、それだけで息を激しく切らしていました。それでも、少し嬉しそうな、しっかりと前を見つめて、歩いているときは、一生懸命なはっきりとした目をして歩いていました。

だから、僕は田んぼに向かった。あの時歩きたいと言ったのは、きっと田んぼに行きたかったんだと思って。

昔、幼稚園のとき、三輪車にまたがる僕を祖父が引っ張って連れて行ってくれたように、今度は僕が祖父を連れて行くんだって。

その日はすごく晴れていました。

たくさんのことを思い出しました。

祖父が昔、休憩の時にくれた350mlの細長い缶の三ツ矢サイダーがおいしかったこと。茂みに向かって祖父としたオシッコが爽快だったこと。カラスよけのネットを2人で張って「これは2人でやるもんじゃねーな」と、毎年のように言っていたこと。

91歳。

ここまで生きるのは簡単なことじゃないのに、仕事して、田んぼして、畑して、家族や親戚を食べさせて、地域の子どもたちのための活動や地域の伝統行事、お祭り。たくさんのことをたくさんの人たちのためにやってきたんだ。

祖父のようになりたい。祖父が亡くなる直前まであきらめずに歩きたいという気持ちを持ち、前だけをしっかりと見て歩いたように。

畑のそれから

そんな荒れ果てた田んぼですが、田んぼは使わなければダメになってしまう。ということで、地域の方に無償で貸すことになりました。
また、あの頃のような景色に戻りつつあります。

祖母に言われました。

「いつかお前が群馬に帰ってきて田んぼができるようにって、おじいさんが、絶対にダメにするなっていつも言ってたからね。田んぼは使わないとダメになってしまうから、なんとかしてくれ。ってね。だから貸したんさ。」

祖父が最後に、僕に歩きたいと言ったこと。じーちゃんはまだ大丈夫だって伝えたかったんだ。

もうすぐ祖父の一周忌。

お葬式では泣きじゃくっていたけど、今度は笑顔でじーちゃんに会いたいです。